2014/2 説明は説迷である 〜高光大船〜
2014年2月の言葉

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2014年2月のことば

説明は説迷である〜高光大船〜


ふとしたことから意見が合わず、言い争いになる…誰もが経験のあることだ。そこで互いにわかりあおうと言葉を尽くす。言葉で生きている以上、そうしなければ相違点は見出せないわけだから当然の行為なのだが、実はそうやって努力するほど、互いの自己弁護となって終わってしまうことも多い。
さて、私たちは「わかる」ということにとても執着する。それは近代文明の基礎をなす考え方が「知性による理解」であるからだ。近代は、わかることを美徳とし、わからないことは愚かであると、知性を何より優先し信頼してきた。新聞に「よくわかる仏教」「よくわかる正信偈」といった文句が並ぶのも、知性を最優先する感覚のあらわれだろう。
だが知性とは、そんなに優先されるべきものなのだろうか。知性の究極がこんにちの世界であるなら、むしろ問題だらけではないか。互いを言葉で傷つけ貶め合い、そして知性の上に絶望し、自らをも見棄ててしまう。そのようなありさまを飛び越えて、「人間の知恵」には限界があることを報せてくださるのが「仏の智慧」である。仏法は私たちの価値観を逆の方向から照らし、見つめ直させてくださる。
先達は仏法に「出遇う」と表現された。それは知性の衣をまとわず、肌身をもって値遇することだ。そこでは「わからなくてもきく」態度が望まれる。親鸞聖人は「南無阿弥陀仏」を勧められた。身をもっていただくべきそのはたらきを、また頭でわかろうとするが故に、わからないのが我々である。
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