2015/6 聞法は死の準備ではなく 生の糧である

2015年6月のことば自分はまだ若いから、お寺には行かなくてよい、必要がない、と思っている人がいる。では年を取ったらきちんと聞くかというと、蓮如上人はこう仰る「としよれば、行歩もかなわず、ねむたくもあるなり」そして、「わかきとき、仏法はたしなめ」と。つまり最近の話ではない。昔からそうだったということだ。

仏教とは若く輝かしい年代も、人生の辛苦を十分にかみしめた世代であっても、ひとしく「本願」という真理の眼差しをもって人間の実相を学ぶことができる「哲学」である。

だから簡単な話ばかりではない。難しい考え方や用語も沢山ある。それはなぜかといえば、人間一人ひとりの生き方そのものが複雑だから。仏教が人間に寄り添っているうちにどうしても難しくなってしまった。だから、理屈としては、年老いて複雑な思考や、用語が覚えられなくなってから聞法をはじめても間に合わない。手遅れなのだ。

ただ、仏教が大切にしているのは記憶力でも思考能力でもない。それら人間の「役に立つ」意識を超越して、真実に出遇っていただきたいのである。それには理屈の積み重ねはいらない。何が必要かと言えばただひとつ、理屈抜きの「念仏」である。しかし念仏がどうも素直に受け取れないのであって、仏法を説くために理屈が必要になってくる。ここで最初に戻って年寄ればその理屈が頭に入りづらい…これもまた、人間の実相なのだが。

だから繰り返し聞法するしかない。若いも年寄りもなく「今」このときから。

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2017年7月のことば

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