2016/9 信心の有無なんか 気にする必要が無い世界を開くのが 信心である 藤場俊基
2016年9月のことば

2016年9月のことば

信心とはいったいなんだろう。

たとえば「私がある物事を頑なに信じること」だとするなら、その「信じる」思いのどこかに少しでも疑いが混じれば、矛盾が生じ、信心とはいえなくなってしまう。だいたい一旦疑心が生ずれば、それは容易に消せないものだ。

では「疑いようがないほど強烈な信仰体験をしたのだ」とすればどうだろう。それはどこまでも個人的体験である上に強い執着となる。「私が確かに体験したのだ」「おまえにはわかるまい」…これは単に過去の感動体験にとらわれた挙げ句、信心とすり替えて満足しているだけのことにすぎない。

親鸞聖人のすごいところは「信心」が勘違いや執着になっていないかと、常に確認しておられるところにある。

浄土の救いは誰も排除しない広がりがある。阿弥陀如来の救いは阿弥陀を信ずる者だけに開かれているのではない。阿弥陀を疑うものにまで無条件で届けられている。それは疑う本人が気付いていないだけのこと。かたや、人間は常に条件をつけたがり、ある・ないとすぐ選びたがる。

もしかすると私たちは信心が「ある」とか「ない」とかで浄土や阿弥陀という広大な世界や存在を自分の小さな器の中に閉じ込めてしまっているのではないか。まことの信心とは、そういうちっぽけな了見を破るはたらきをいう。

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