2016/10 如来を信じられなくても如来は決して見捨てないということを信じるのです 藤場俊基
2016年10月のことば

2016年10月のことば

如来のお働きを表す言葉に「摂取不捨」がある。親鸞聖人は御和讃に「十方微塵世界の・念仏の衆生をみそなわし・摂取して捨てざれば・阿弥陀と名づけたてまつる」と謳われる。 どれだけどん底の世界に生きていても、念仏する衆生をみそなわして、摂取して(おさめとって)決して捨てたまわない、それを阿弥陀だと呼ぶのだよ、と。

さて、親鸞聖人はかなり慎重な方だったとみえて、読む人がうっかり違う意味に受け取らないよう、ふりがな(右側)とは逆の左側に「左訓」という注意書きを残してくださっていて、この御和讃の「摂」には、「ものの逃ぐるを追わえとるなり」とある。簡単にいえば「(救いなど)要らん要らんと逃げまわる者とて、追いかけて首根っこを捕まえてくださる」という意味だ。

たとえばこの御和讃、うっかり読んでしまうと「念仏する衆生」が「摂取不捨」なのだと読んでしまわないだろうか。では、「念仏しない衆生」はどうなるというのだろう。捨ててしまうのか。これが人間の「計らい」であり「闇」である。

念仏する衆生を見捨てないのはもちろんのこと、まだ見ぬ念仏者にすら如来は眼差しを向けてくださる。まだか、まだか、と。「みてござる」とはよく言ったものだ。

全ては「待たれている」のだ。

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2017年7月のことば

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