2016/11 われらの前途は光であり われらの背後は命である 曽我量深
2016年11月のことば

2016年11月のことば

かつて作家の高史明氏のもとに子どもが訪ねてきて「死にたい」と相談した。氏は「やめておけ」、「親が悲しむぞ」といった月並みな説得ではなく、「死にたいのはどこか」と尋ねたという。子どもは意味がわからない。氏は「死にたいと言っているのはここか」と頭を指差した。ようやく子どもは当たり前ではないかという顔をしている。氏は「頭から上が死んだら頭だけが死ぬのか。身体も死ぬのだぞ。身体の声、殊に足の裏の声を聞け」と説いて聞かせたという。

私たちの絶望とはどこで起きているのかといえば、それは「アタマ」である。人はアタマで絶望してアタマで勝手に自分を見捨ててしまう。でもそうして絶望している瞬間にも「カラダ」は生きてくれている。そのことを忘れてはいけない。

生きて・活動しているから「生活」と呼ぶ。個の意思を超えて、身が生きようとしてくれていることを忘れ、人は活動の範囲で絶望しているにすぎない。仏典によれば、それは火と水の河に譬えられる。アタマだけで生きようとすれば、その人生はきっとその先で行き詰まることだろう。だが、そのときこそ仏は対岸から光となって「来い」と呼びかけてくださる。そんな私たちの足下を支えてくれるのは、ちっぽけな個の願いや思いではなく、生きている事実・イノチそのものである。

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