2011/12 仏説は仏弟子によって証しされる 安田理深

2011年12月の言葉

2011年12月の言葉

2011年12月のことば

仏説は 仏弟子によって 証しされる 安田理深

この言葉に出遇ったとき、とても嬉しくなった。
なぜならこの言葉は私たちの仏法に対する姿勢をどこまでも認め、赦してくれる言葉だと思うからである。
私たち人間の知恵・教養はどこまでも「だれかがそういった・いわないの伝聞と継承」に終始してゆくように思う。それは決して師を超えることがない歩みでもある。
ところが、仏法はそうではないというのだ。仏法を聴聞し受け取った者が自らの人生を通して仏法を味わう。その歩みは時として師の意図するところ以上に広がりをみせるといえる。
故安田理深師は、「教える人よりも教えられる人が大切である。教えの大きいことや深いことは、教えられた人の自覚によって明らかにされるものである。それが仏道というものである。そうでないといたずらに子分となって、結局じり貧に陥ってしまう」とおさえられる。まさしく、仏説は仏弟子が証ししてゆくといえよう。
じり貧にならない歩みが仏教にはあるのだ。私はどうであろうか。

↑過去倉庫2011へ戻る


2017年7月のことば

2017年7月のことば

合掌して
ごはんをいただけない人は
不幸な人だ

ランダムピックアップ

  1. 2016年1月のことば

    2016.1.8

    年を取ることはよろこびである

    [caption id="attachment_4050" align="alignright" w...
  2. 2011年8月の言葉

    2011.8.12

    ほんとうのちからは 力みをぬくちからである

    [caption id="attachment_2180" align="alignright" w...
  3. 2013年8月のことば

    2013.8.16

    餓鬼どもが 餓鬼に施す 盂蘭盆会 〜暁烏 敏〜

    [caption id="attachment_3030" align="align...
  4. 宗祖親鸞聖人

    2011.12.26

    きこまいか

    [caption id="attachment_2395" align="alignright" w...
  5. 2015年3月のことば

    2015.3.1

    念仏しても食えんかもしれんが、念仏せんと食べたもんが無駄になるぞ

    今月の掲示板、更新しました。