2010年11月のことば
涼しさや 弥陀成仏の このかたは 小林一茶
・この句の「涼しさ」は残暑にふとそよぐ風の涼しさをあらわすものであるという。ならばいささか今の季節には時期はずれかもしれない。だが季節の移ろいを肌で感じる句なのだと捉えれば、この句の味わいは時期を問わず、また時代も問わないと思う。
・省みればあれほどの猛暑もいつしか遠ざかり、「急に冷え込みましたなぁ」と挨拶を交わす。「秋はどこにいったのか」と環境の変化を嘆く。地球温暖化、環境保護とうたうことは簡単だが、もはや文明生活(=環境破壊)を手中にした限り、私たちがそれを手放すことは容易ではない。破壊の張本人が高みに上って声高に地球を守れなどとは、愚の骨頂ではないだろうか。いったい人間は何千年この無明な生活を繰り返してゆくのだろう。
・阿弥陀仏はそんな私たちのありさまを救おうと、五劫という永い間、ひたすら思惟くださり、成仏されたという。人間の思考や歩みをはるかに越えた、悠久の過去から、そしてまだ見ぬ未来へ向けて大きな願い(本願)をかけてくださっているという。
私たちはただ念仏生活を通してのみ、本願をいただくことができる。いや、今のごとき念仏なき生活からは一茶の感じた風ほども聞きとることはできないかもしれない。さて、念仏していますか。




