真廣寺沿革

真廣寺本堂

■ 当寺について

当寺は「真宗大谷派(京都:東本願寺 真宗本廟)・長浜教区12組(そ)」に所属します。
真廣寺本堂現在住職、釋静純をもちまして25代目となります。交通の要衝である米原市にあり、駅より徒歩で約20分という好立地でありながら田園風景広がるここ上多良にて寺院門徒共々脈々と法灯を受け継いでおります。

■ 濫 觴

当山真廣寺は、1259(正元元)年、兵庫頭源頼政5世の孫、大田太夫廣政の子、大田松若丸・釋眞蓮が開基であると伝えられています。(近江国坂田郡史第6巻より)
また、もともとは天台宗の寺院でありましたが、当寺に残されております阿弥陀如来画像の裏書に、大永3(1523)年2月18日とあります。よっておそらくこのころ天台宗から浄土真宗に転宗したのではないかと推測されています。(別伝には、開基釋眞蓮が親鸞聖人に帰依したともありますが、これは定かではなく、むしろ蓮如上人が湖北をご化導の際、ご縁を受けて真宗に帰依したという見方が有力です。
◎あくまでも推測ですが、湖北は現在も蓮如上人ご下向のコースとなっており、この時代に蓮如上人にご縁をもたれた寺院が多数あると伝えられています。当寺に蓮如上人はおでましになった伝えはありませんが、どこかで祖先がご化導を受けられていたとしても不思議ではありません。

竹中半兵衛の書状

■ 戦場・焼失

1570(元亀元)年には、織田信長の兵火にあい、堂宇は焼失しましたが、幸い仏像仏具は難を逃れたとのことです。一伝では、この時代に大田家の血筋が絶えたとされています。織田勢に殺害されたとも、もしくは戦死されたとも伝えられます。
◎湖北のこの地は、京へ攻め上る交通の要衝であったことから、当時は幾たびとなく戦場になったことでしょう。そういう時代であったこと、この地の利便性が高かったこととはいえ、祖先のご苦労がしのばれます。

■ 継職・竹中半兵衛弟

その後11代目を美濃国岩出の城主、竹中半兵衛重治の弟にして、当地上多良の豪家、多良右近の縁によってこの地に閑居し、薙髪して釋浄念と称したとあります。
◎この地に共通して伝わる地名に『多良』があります。これは当地に非常に有力な多良族という豪族がいたことから、この地名がついたとも言われます。なお、現在もその末裔とされる方はご健在でいらっしゃいます。
当寺に現存する書状のうち、竹中半兵衛が家康公から譲り受けた短刀を弟に託したとされるもの(右写真:クリックで大きくなります)があって、半兵衛本人の花押が記されています。ただし、残念なことに短刀は現存しておりません。
また同様、釋浄念の筆とされる書状があり、そこには「竹文庫」なる半兵衛から預かった書物の類があると記されておりますが、残念ながら、そのような文庫は現存しておりません。

宗祖御影

■ 教如上人へ帰依す

なお、当寺に伝わる宗祖親鸞聖人の絵像(右写真)裏書には、慶長18(1613)年4月とあり、これは釋浄念の時代に教如上人に帰依し、下附されたものと推測され、この時代より真宗大谷派に属していたものと思われます。
◎この裏書につきましては近年調査が行われ、裏書と絵像の時代は一致するとの結論をいただいております。

■ 井伊家とのかかわり

当寺玄関(井伊家家紋)

当寺玄関(井伊家家紋)

確たる証拠は現在ございませんが、永禄7(1564)年4月より6月に至る2ヶ月間、今川家より命を狙われていた井伊萬千代(後の井伊直政)が、当寺にてかくまわれていたことがあったと伝えられます(近江国坂田郡史第6巻より)。 これをあらわすものとして、現在も法要の際、当寺玄関にはなぜか井伊家の紋がかけられます。これはかつて、この紋の使用を当寺へ許可された名残であろう、と伝えられています。
◎最近、当寺什物整理により見つかりました五条袈裟には井桁と橘があしらわれており、ここからも井伊家とのつながりが推測されます。

■ 大通寺とのかかわり

大通寺五条

大通寺紋五条

明治時代のことですが、長浜別院大通寺の接待役(饗応役)を仰せつかっていたとの伝えがあります。
◎最近の当寺什物整理により見つかりました五条袈裟に大通寺の紋があしらわれておりました(右写真:クリックで大きくなります)。おそらくこれがその時に衣用したものではないかと推測されます。

■ 現 在

翫湖堂額

翫湖堂扁額

かくして現在、住職・釋静純をもって25代、連綿と法義を相続しております。
◎明治の時代までは、当寺の裏手には入江内湖という大きな内湖がひろがっており、寺から湖がよく見えたともいわれます。その言葉を裏付けるかのように、当寺には「翫湖堂(がんこどう)=湖を愛でる堂宇であるの意」という額が伝えられています。 なお、2008年4月から発行の寺報(新聞)はこの名を取って「翫湖堂だより」とさせていただきました。

■ 家 紋

寺紋1 笹竜胆車

◎当寺の定紋(じょうもん)は、五つ葉竜胆です(笹竜胆車とも聞いた事があります)。
これはおそらく、上記・大田家の紋であろうと伝えられております。
当家祖先が当寺を継承した際、大田家に敬意を表して大切に残したのであろうと言われております。
通常見られる五つ葉竜胆と若干形状が異なり、竜胆の茎にふくらみがあるのが特徴です。

竹輪に九枚笹

◎当家の紋(寺院定紋としても使います)は竹輪に九枚笹です(節有九枚笹とも聞いた事があります)。これは竹中本家(半兵衛)より頂いたものとされ、丸部分に竹節があるのが特徴です。
いずれの紋もすこし珍しいらしく、某法衣店に袈裟を作成するとき依頼しましたところ、カタログに掲載されるようになりました。

→動画:真廣寺紹介へ

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にぎって、
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