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儀式と教学

荘厳整いましたる本堂内

これで報恩講をお迎えできます(2010年当寺報恩講直前)

坊さんの現実社会でよくあることなんでしょうかね。

「わしは儀式はわからん」

「教学は難しいわ」

「どっちも怠慢ちゃいます?」はウチの弟の弁ですが、
まさにその通りかと。ええこと言うねTaQN。

一口に坊さんといっても、その宗門の中には3つの要素があるのです。
まず、宗祖の教えを受け継ぎ、次の時代につなげる「教学」面、
また伝統的仏教の持つ、儀式として仏祖を崇敬する「儀式」面。
さらに宗門を守り、育て、社会的位置づけを行う「政治」面。

このうち特に政治面はおいといて…。

儀式と教学はやはり「坊さん」を志した以上、
最低限おろそかにしたらアカンと思うのです。

別に私も儀式を極めたいとは思っていませんし、教学を極めたいとも思っていません。
しかし一宗の両輪であるべき儀式と教学。大切にすべきです。
こういう話をするとすぐに「そうや、その通りや」と皆さん同意される。

でもね、現実に感じるのは総論で賛成して各論で反抗・抵抗・逃避する姿です。
「そんなん言うけど、わしはようワカランわ」
「真宗では修行は要らんのや」
「南無阿弥陀仏だけ称えとったらそんでええのや(これは一理ありますが)」
結局それは自分が苦手なものを避けてる姿でしょう。

もちろん、逃げられるのはその方の勝手です。
私とて、あぁ逃げてたなぁと後悔することはあります。

でも逃げる姿勢を理屈で肯定したらあかんでしょう。
求め続ける気持ちだけは失ってはいけないでしょう。
得度した坊さんとして。

ある先生が仰ってました。
「得度の時に習ったお経、修練の時に習った教学で一生やっていこうとする坊主がおる」
辛辣な一言ですが、胸に響きました。同時に、身につまされました。

せめて出仕する御縁があれば嫌がらずに出仕しましょう。
せめて聞法する御縁があれば進んで聞法しましょう。
自分の衣ぐらい手を抜かずに「自分で」しっかり畳みましょう。
自坊の報恩講に呼んだ講師の話ぐらい、門徒の代表として共に聴聞しましょう。
ご門徒の素朴な疑問に真摯に向き合いましょう。たとえ答えられなくても。

いろんな人に遇いながら、いろんな人の声を聞きながら、今年の報恩講を経て、
ふと、思いました。内面の声です。


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コメント

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  • コメント (1)

    • TaQn
    • 2010年 12月 07日

    「真宗では修行は要らんのや」

    …教行信証の「行」を英訳する際、他のお坊さん方は「Practice
    」と訳したのに対し、鈴木大拙師は「True living」と訳したそうです。
    真実に生きる。
    活動しているのか、生きているのか、みたいな感じでしょうか。

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