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Steve Jobs 1955-2011
Steve Jobs 1955-2011

Steve Jobs 1955-2011

各紙で報じられてますが、10月5日、IT業界を牽引してきた一人の偉人が亡くなりました。

Steve Jobs。享年56歳だとのことです。西洋のことですから誕生日からカウントしたんでしょうね。
仏教で言うなら57歳になります。いわゆる「数え」です。

お母さんのお腹の中に居る期間を1年として考えますからね。

お寺のブログでなんでこんな人のこと取り上げるの?と言われそうですが、2つ理由があります。

1つめの理由は、当寺のこのブログといい、寺報といい、すべてこの人の手がけた製品、つまりMacによって生み出されているからです。

そもそも私がパソコンを始めた頃はMS-DOSでした。
いわゆるWindowsの黎明期に君臨していたOSですね。まさにビジネス用途。作業をするためのパソコンでした。
ところがそのうち「入力したままに印刷できるパソコン」の存在を知ったのです。それがMacintosh、今のMacでした。高価ではありましたが、そもそもパソコンを始めた動機が「寺報をいつか、カッコよくつくりたい」だったので、無理してローンで購入したのを覚えています。しかしこのパソコン、ただ高価なだけではありませんでした。

当時一般的なマニュアルには、新しいソフトをインストールするとき必ず「インストールが失敗した場合」という項目がつきものでした。それも長々と。

専門的になりますがAutoexec.exeやConfig.sysで絶対(相対)パスが通せていないとか、メモリ確保用の記述が不十分だとかいろんな条件でインストールが失敗するということが当たり前だったのです。 だから、パソコン仲間うちではインストールの専門家とか、メモリ節約の専門家みたいな人が沢山いました。

ところがMacは当時からそんなことがなかったのです。

つまりCD-ROM(これも画期的でした)を入れたら、すぐに使えるのです。

ド素人でもインストールを失敗することはありません。

インストールといういわばセットアップ段階で悩むことなく、すぐに使い始めることができました。

今となってはほぼ当たり前のことですが、そのお陰で「ソフトを使って何かを創造する」という基本的なところにすぐに立つことができました。まさに「パーソナルなコンピューター」でした。今でも本当に感謝しています。

この手軽さがなかったら、こんな短期間でソフトの基本的機能を独学することはできなかったでしょう。

現在、職場でWindowsを主体としたネットーワークシステムを管理する立場にいて、あらためてユーザーサイド(人間側)に立つことの難しさを感じます。

それに彼は別に目新しい発明をしたわけじゃないんです。ありふれたテクノロジーを使いやすくまとめたといえましょう。
まさに宗祖のおっしゃる「めずらしき法をもひろめず」の人です。
念仏と一緒にすんなといわれそうですが、私の中では共通点があります。ハイテクノロジー(自力)に終始して競争ばかり繰り広げている今のIT業界は、言葉だけ「人に優しく」て、実際は人にキビシイ技術ばかりじゃないですか。

しかしそれらをまとめ上げて、ハイテクを使っていることを意識させず、大衆に使いやすく示した上、使う人の生活スタイルまで提案したとあっては、彼はやはりひとりの「偉人」です。

「人間が使うこと」を徹底的に考えたのです。それは今や、iPhoneやiPadが世界中で模倣されていることからもあきらかですね。感謝してもしきれません。

.

2つめの理由は、この人の生き様です。

すでに新聞でも一部ネット上でも神格化されつつありますが、実はこの人のすごいところは「壊れていた」ということです。失礼(笑)。尊敬して述べているのです。

でもちょっと調べればわかりますが、生活面でも人間的にも「丸くおさめよう」というところが全く見当たらない人だったのです。

それはしかし、自らが理想とするところに突き進むために妥協しなかったということでしょう。変人といってしまえばそれまでですが、しかし大切なところは「壊れている」ところかも知れません。Yes-ManというよりはどこまでもNo-Manだったのです。時には傲慢な人であったと思います。

しかし釈尊であれ、宗祖親鸞聖人であれ、人間生活的には破綻していたといっても過言ではない人生を生きられました。時に家庭を省みず、自らの信ずるものの中に生きてゆかれたのです。

手放しで称賛しているわけではありません。なぜなら私がまねをすれば大けがすることでしょうから。

宗祖親鸞は、老境にして家族と離れて暮らされました。そこへ二十数カ国の境を超えて命がけで訪ねてきた門弟に対し、肝心のところを「面々の御はからい」と突き放されたのです。はたまた、念仏を真っ向から否定されたに等しい愛弟子の悩み抜いた言葉に対しては「私もそうだ」と寄り添ってゆかれた。かと思えば念仏の教えを混乱させた最も信頼していた長男をきっぱりと義絶されました。

信念を持ちつつ、信念に固執せず、信念の来るその根本をみつめ、自分をみつめて生きなければこのような生き方はできなかったでしょう。大変な厳しさであり、しかし温かさを感じます。

彼にも同じ姿勢を感じます。同調も協調もできなかったひとですが、間違ってはいなかったと言う点において。
毎朝彼は鏡に向かってこう問うたといいます「今日で死んでしまうとして、今日の予定は本当に自分がやりたいことなのか」と。
毎日毎日が生死していたともとれる、凄まじい生き方です。やっぱりまねできませんね。

彼は生前、禅宗に帰依していたともいわれ、その思想背景を「分析」する人がこれからもっと増えるでしょう。
しかしそれすら愚かなことと思います。その人の人生はその人にしか語れません。その人の背中をみることしかできないからです。

真宗では冥福は祈りません。すでに浄土に帰られたからです。
追「悼」でもありません。悼むだけではなく彼の生きざまに訪ねる(≒とぶらう・弔)ですから、追弔です。

静かに合掌したいと思います。

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コメント

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  • コメント (2)

    • クロメグ
    • 2011年 10月 07日

    私もカラクラの頃からMacを使ってきた人間です。
    初めて自分でMacを買ったのはHDとモニターの一体型が出た1996年のことです。
    その頃のWindowsは私にはとても難しかったんです。
    ところが、Macのなんと使いやすいことでしょう。
    買ってからコンセントをつないだら、すぐに使えると言っても過言ではありませんでした。
    爆弾マークが出ることもあったけど、すごくいとおしいやつでした。

    その後、PoweBook2400や、ボンダイブルーのiMacにもお世話になりました。
    私もスティーブ・ジョブズ氏には感謝の気持ちでいっぱいです。
    一緒に合掌いたします。南無阿弥陀仏。

  1. クロメグさん、ありがとうございます。
    カラクラお使いでしたか!あのカタチにあこがれたんですよ〜。
    実際使い出したのはPerforma630でしたけど。
    すでに当時スペック的に時代遅れだったのに、
    カラクラの中古価格はすごかったですからね。

    本当にマックにであったときの感動は言い表せません。
    デザイン、操作性、すべてが「統一」されていて「使いやすい」。

    実はその数年後、WIndowsに逃げるのです。僕は。
    ちょうどOSXの頃です。そう考えるとジョブスについて行けなかった奴でもあります。
    おかげでWindowsに詳しくなれましたが。

    彼の人生には挫折と逃避があります。そしてそれをよかったなと言える受け止めが。
    彼一人でなしえた人生ではありませんが、まさに「過去が救われる」仏教の世界があるように思います。

    南無阿弥陀仏。

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2017年4月のことば

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正しいことを言うときは
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正しいことを言うときは
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