ブログ記事

終末を見据えて

2012年11月のことば

やっとこさ、掲示板更新しました。10月分と、11月分も行く末をちゃんと見据えることで今の一歩が踏み出せます。
リアルの掲示板はちゃんと更新してたんですよ。翫湖堂も。
ウェブサイトが置き去りになってしまいました。失礼しました。

さて、今月の味わいは榎本栄一さんです。
「いつか わたしの あしもとは くずれる」
なかなか短くて、しかし説得力のある強烈な詩です。

榎本さんは、私の勤める難波別院からかつて詩集を出しておられまして、私自身、この詩集がきっかけにで名古屋の亀井先生や東京の樹心社の亀岡さんと、親しくおはなしさせていただく機縁をいただきました。
(過去の諸先輩の業績にちゃっかりのっかる私です)

榎本さんの詩集、若い頃に読んだのですが、実は正直言ってピンときませんでした。榎本さんの視線が見えていなかったのです。

なぜかは後で判りました。

「それだけの年齢を経ていなかったのです」

単に年齢を経ればわかるというわけでもないでしょうが、
しかし人間の「共感能力」は、社会的に人間的に年輪を重ねた方が高まるように感じます。
CMに代表されるように、世間は「若く」「健康で」「美しい」生活を、
あたかも努力さえすれば手に入るように喧伝していますが、
年齢を経ると言うことはそれがいつまでも続かないことを実感させられるのです。
しらされる、とでもいいましょうか。

「確実に存在していていつまでも変わらないもの」なんて、どこにもありません。
仏教から教えられるまでもなく、私たちは知っています。
ただそれは見たくないんですよね。わかりますよ。わかります。

でもいつまでも目をふさいでたって、鏡の前の私は事実、勝手に年齢を重ねます。
そこに苦しみが生まれるのは普遍的な人類の悩みでしょうね。
数千年、数万年。誰も解決してないんですよ。

それならば、ということで、

「終末を見据えて」生きてはみませんか?
終末とはもちろん、「御自らの死」の事です。
かつて日経新聞の記事の中で自ら遺書を書こうと
呼び掛けるサービスがあることを読んだことがあります。
(2010年1月13日・老いを生きる)
そこには「遺書を書く」という行為とは裏腹に、
絶望ではなく、現在の生に希望を持たれた方がありました。

自分の死を 見つめるなんて縁起でも無い、
そんな暗いことできるか、と言われそうですが、
歴史的な宗教家はどなたもそうされてきたんですよ。親鸞聖人もそうです。
誰もが通る道ならば、そのことをゴールとせず、歩みの一歩とすべきです。

実はそこには暗さじゃなく、真実の明るさがあると思います。
現代の価値観じゃはかれない、いつわりのない、ほんとうの明るさです。

光は影を見ないとわからない。かつて先輩に教えて貰ったひとことです。
終末はだれにでもやってくる。
ならばその終末と向かい合い、そして力強く生きてみろということでしょう。

私も榎本さんの詩がやっと味わえるような、年齢になってきたんですかね。
そういや自分の介護保険を払うようになってすでに4年ほど経ったわけです。
まだまだ世間的には若造ですが、ここは素直に「老い」を喜びたいとおもいます。


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