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世の中は 喰うてかせいで寝て起きて さてそのあとは死ぬるばかり 一休

リアル一休さん
アニメ一休さん(言葉は気にしないでくださいw)

アニメ一休さん(言葉は気にしないでくださいw)

2013年11月の掲示板、ようやっと更新できました。すっかり月半ばの更新が定着しましたね(してないか)。

こりゃもう性分といいますか何と言いますか。月が変わらんと気持ちが改まらんといいますか。いいわけですねすみません。

おまけに今月は疲れが出たのか、風邪引いて臥せってました。ぜんぜん文章を書く元気がでない…。文字を読み書きするって結構体力つかうんですね。

さてさて、今月のお題はとんちで有名な一休さんの歌です。子どもの頃一休さんのアニメが好きで、よく見てました。

アニメの一休さんは、眉がきりっとしててなかなかすてきなのですが、
実際の一休さんはひげもじゃの変なかお(失礼)。

リアル一休さん

リアル一休さん

ちょっとやる気のなさそうな肖像画が多数のこってますから、
こんな顔されてたんだろうなと(おまえがいうなと)。

で、この一休さん、相当変人だったみたいで、
正月早々から骸骨を杖に付けて「ご用心ご用心」とうろついたり、
お金持ちに「縁起のいいこと書いてくれ」と言われたら、
「親死ぬ 子死ぬ 孫死ぬ」と書いたらしいです。
一見、ひでーなと思いませんか。

でもこれって決して単なる変人じゃないんですよね。
正月気分で浮かれあがってる人々に対して、
「つまりお前たち、また一つ年寄ったんじゃねーか、死ぬことにちかづいたんだよ」
と、痛烈な一撃を浴びせてるわけですよね。
こんな歌もあるくらいですから「門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし」と。
「親死ぬ…」だって、
「人間いつかは死ぬんだから、順番どおりがいいに決まってんじゃねーか」
喝破されそうです。

今月の歌もそのまま詠んだら身も蓋もあったもんじゃありませんが、
思えば人間なんぞ「五尺の糞ひり虫」って表現もあるぐらいです。
自然を破壊し、環境を汚し、地球にとっちゃただの寄生虫なのかもしれませんね。
大体わたしたち、朝起きて、喰うてかせいで寝て起きて、
あれしてこれして…他に何か考えたこと、あります?

言われてみると、そんなことばっかりして一年を過ごしています。
そして気がつけばもう「年末」あちゃー。ことしもやっちまったか。と。
故・訓覇信雄氏は「生活」という言葉で押さえて下さいました。

 

「生活というけれども「生」というのはいのちである(中略)。
「活」というのは、これは毎日朝から晩まで、月給とか家族とかそういう問題に明け暮れしてひまがないこと。ガツガツしていきていること。これを活という。そしてたいていの人は人生はそれだけだと思っている。(中略)
生活しておるというのはいったいどういうことなのか、現に生活しているその本当の意味は何か、ということを近頃は考える暇がないんだろう。それを考えなければ人間が生きるということにならない。
いうならば活は生の付属物である。」(白馬社/傑僧・訓覇信雄より)

痛烈なひと言です。はい。

 

「活で色々と朝から晩まで同じことをやっているのは、生をあきらかにするための手段である。
したがって、月給があがって健康で皆仲良くすればそれでいいというのは、いまだかつて人間がいきるということの意味を知らんのである。付属物だけである。いってみれば日常生活というのはそれでもやっていける。やっていけるけれどもそこでは必ずいろいろと問題が起こってくる。月給が少ないとか、家族と仲が悪いとか、病気になるかという問題が起こってくる。
活において起こってくる問題は、その問題を考えることによって、実は生を明らかにするためにそういう問題があるんだ」(白馬社/傑僧・訓覇信雄より)

いやホント、そのとおりです。すみません。

 

「大体の宗教はそうではないか。ご祈祷にご利益。
そうなると、生をなんとかごまかすためにご祈祷とかご利益という、生の付属物である活の、さらにもうひとつの付属物になっているんだ。宗教が。そういうのは仏教では宗教とはいわない。(中略)
一般に宗教は、活の付属物であると思われておる。病気にならんように、金が儲かるように、災難がこないようにと結局墓場にはいってゆく。
活の付属物の宗教を宗教と思っているのではないか。
ご利益の宗教は迷っている話を余計迷わせるための手段である。煩悩の応援団だ。」
(白馬社/傑僧・訓覇信雄より)

まいりました。親父に怒られているようですね、
一休さんのほうがよっぽどやさしいです。
ちなみに一休さんは、本願寺8代目の蓮如上人と同世代であるばかりか、
かなりの親交がありました。つまり、お念仏の世界を知って居られた?

 

「困っているということは。生を忘れているではないか、毎日の活にとりまぎれて、根本的ないのち、魂、真に生きるという、そういうことは忘れていないかという催促である。毎日の日常生活の問題に困る、悩むということは、もし生がないなら悩むということはないはずであろう。
つまり生を忘れているから、人間でありながら人間を忘れ、人間をうしなっているのである。」(白馬社/傑僧・訓覇信雄より)


…ありがとうございました…。

しかしこのことばの奥底にこそ、
「さてそのあとは死ぬるばかり」だけじゃないな私たちが見えませんか。
「生」きて「活」動してるから「生活」なんですよ。
私たちが思っている「生活」は、とどのつまりただの「活動」でした。と。
その根本のイノチの依って立つところはどこか。そこに本当の「生きる」があるのでしょう。

では、さて、「生きてる」ってなんでしょう。
そこを考えないと今やってることだって
全部「無駄無駄無駄無駄ぁ」ってことになりかねませんよ。

こうなるともう、理屈じゃないんですけどね。
理屈は結局「アタマん中」だけの話になりますから。自身の身体が問題になりませんから。
だからといっちゃぁ伝わりにくいんですけど、結局は南無阿弥陀仏なんですけどね。
さぁご用心、ご用心。

※今月は引用ばっかりになっちゃいました。まだ熱っぽいです。こちらもご用心。


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