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道光明朗超絶せり〜親鸞聖人御和讃より〜

2015年1月のことば

2015年1月のことば新年あけましておめでとうございます。
お寺の掲示板は年末から更新しておりました。ウェブは新年明けてさきほど更新したばかりです。

さて今年は元旦から雪が降っております。年末は本当にほのぼのと暖かかったわけですが、情緒あるともとれますし、厳しい年明けの始まりともとれますね。

年始から厳しいテーマですが、
現代の宗教界は非常に危機的状況にある、と言われています。
…ホントでしょうか。
どうもそうは思えないんですよね。
お寺の門徒さんは、減っていっているそうです…それは実感しています。
直葬や家族葬が増えて、お参りの人が減ったそうです…それもよくわかります。


でもそれと、宗教の危機ってイコールなんでしょうか。

それは単に寺院の経済活動が逼迫しているだけのことで、
宗教が危機にさらされているとは思えないのです。
寺も継いでおらんオマエが偉そうにいうなといわれそうですね。

だから、こうは言えます。
これまで安定していた寺院経済の基盤は危機的状況にあると。
これは間違いないでしょう。


さて、ところで先日、
あるところである住職さんとお話をする機会に恵まれました。
そこの住職さんはアツく語るんですよ。

門徒が減っている、寺院存続がアブナイなんていいながら、
すこし視点を変えれば、我々のチャンネルがズレてたんじゃないか。と。
どう言うことかというと、件の住職さん、もの凄く熱心な門徒さんに遇われたそうです。
どういう出遇い方をしたかというと、
「ネット」が御縁だったというのです。門徒さんがネットで探してこられたそうです。

状況はこうです。祖父が亡くなり、祖母が悲しんでいる。
そこで息子(60代)が、オレはようわからん、といって、
孫(大学院生)に頼んで、いろいろ調べたそうです。
そして、ウチはどうやら大谷派らしい。と。
そこで地元の葬儀屋さんからはじまり、お寺まで自分で調べあげて電話してこられたそうです。
そして、中陰の間に、自分たちで大谷派の教えや正信偈の節回しを孫がネットで調べ上げ、
家族で輪読し、お勤めの稽古をしたというのです。
だから住職さんはそこのお家に行って、びっくりしたそうです。

とにかく熱心なんです。
そして、儀式も教義もいろいろと詳しい。少しズレてるところがあっても、どんどん質問される。
これまで、どこかお寺とお付き合いあったんですか?と思わず聞かれたそうです。
「いいえ、今学んでます」と。
だから住職もすごくやる気がでた、励まされたと仰ってました。

興味深いのは、そんなお家が、ここ数年で何件かあるんだそうです。
1件や2件ではないよ。と。

その住職曰わく、
結局、そんなふうに求めている人がいるのに、
伝わらないような今の情報提供の方法に問題があるんじゃないかと。
つまり優れた出版物や配布物を幾ら大量にばらまいても、
誰も見ていないこの現況を打破することからはじめないといけないんじゃないか、と感じておられるのです。
僕もこれは強く同感します。なるほどそうだなと。これはごく一例なのかもしれません。でも可能性を感じる話じゃないですか。


もうひとつ。
布教ってされてます?僕はできてません。ご門徒さんにちゃんとお話できてないなぁと。
せいぜいここしばらく、寺報の文章が全部オリジナルになりました。掲示板とセットで続けてます。程度でしょうか。
ちなみに法話に呼んでいただいてお話するのって、あれ、布教じゃないと思うんです。
布教とはいえないなと思っています。講義です。僕もよくほうぼう呼んでいただきますけど。

布教って、求めてる人が集まるところでするものじゃなく、
求めてるかどうか分からない人のところでするものですよね。
これが難しいんですけどね。でも今こそ一歩踏み出す覚悟が必要なのかも知れない。そう思ってます。

いま、お寺に住む人はみな、
本山がなにか素晴らしい方針やサービスを打ち出してくれると期待されているようです。
そんなものありませんから。
期待するだけ無駄だと思います。絶望的な意味じゃありません。
だって、個々の事情が全然違うんです。
隣村の成功例が、自分とこの村の失敗策になることだってあるんです。
簡単に打ち出せる方針なんてありません。
信仰の問題はどこまでも個人の問題なのです。生き方です。
そういう求める人に個々に寄り添うことができる教えが、親鸞聖人の教学であり、画期的だったのだと思います。
分かりやすい施策なんて期待する方が宗祖の教えを愚弄しているとすら思うのです。

新年そうそうではありますが、
こりゃもう、自分たちの足元、根本から見直す必要があるんだろうと思っています。
先の住職さんもそう仰って下さいました。勇気がでました。


じゃあオマエ、具体的に一体何ができるんだよ、と言う人がいそうですね。
甘えないでください。とだけ申しておきます。
そこに立っている人がその課題を自分で抱えて自分で考えないといけません。
これまで数十年やってこられた方法論で、安穏としてたらだめなんだと思います。
今からやるんです。今から。何かを。

きっとタイミングもありますね、土地の事情もあります。
人の交わりだってあるんです。大変です。答えはありません。

ただそうやって自ら真剣に仏道と向き合っていれば、「道は明るい」んですよね。たぶん。
まさに道光明朗。

本年もよろしくおねがいします。南無阿弥陀仏。

【→今月の掲示板、ちゃんと味わいバージョンはこちら】


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