第2回 真宗の救いとは ~めざめ~
※このページについて:このページは前半が法話・後半が考察という構成になっています。
前半は真宗大谷派大阪教区発行の教化センター通信からの法話、後半が副住職のひとりごとと言う構成です。

◎法 話

真宗の救いとは、まず第一には、めざめ(自覚)だと言われます。
「目覚める」とは大層な出来事のように思われますが、ごく身近なことであって、しかも深い感動をともなうものです。
数年前、東井義雄(とうい よしお)氏が感動をもって、このような話をされました。
あるとき九州のお寺に宿泊したときのことです。その住職さんが朝早くに「足の裏をもましてください」と言って部屋に入ってこられた。恐縮に思い、お断りしたが、強(し)いていわれるので腹ばいになり足を伸ばした。
ところが、なかなかもみ出されない。ふと頭をあげて様子を見ると、住職さんは足の裏に向かって合掌しておられるではないか。そしておもむろにもみ出され、こんなことを言われた。
「あなたは自分の奥様の足の裏をもまれたことがありますか。一度もんでさしあげるといいですよ。その時は必ず、もまして頂きますという気持ちで合掌してからもむがよろしい。」と。
東井氏は素直な方で、帰ってすぐ奥様に「足を出しなさい」と言われたそうです。何のことかと思いながら腹ばいになって出した奥様の足の裏を見て、「思わず知らず手を合わせてしまった」と氏は言われました。
「女性の足は、もっと美しい可愛いものだと思っていたが、あかぎれだらけのゴツゴツした足の裏だった。思えば結婚して三十年、貧しい田舎寺で、炊事、洗濯、掃除と毎日毎日働き続けてくれた。私は合掌したことがないばかりか、見たことも考えたこともなかった。しかしこの足の裏に三十年も私は支えられていたんだ」と。
涙ぐんで話される東井氏の声を聞きながら、こんなことを思いました。親鸞聖人の足の裏はどんなだったろうか。比叡山での修行、越後への流罪、関東での教化、帰洛と、その九十年の聖人のご生涯を支え続けた足の裏を慮(おもんぱか)ったことはありませんでした。おそらくゴツゴツした逞しい足であったろうと思います。

もっと身近なことで、自分自身の足の裏を考えたことも稀なことです。水虫になるか、トゲの刺さった時ぐらいは気になっても、その足の裏に支えられて今の私がある事実には思いを致さない。目覚めとは平生、足蹴(あしげ)にし踏みつけていたものによって私が支えられていた事実に気づいてゆくことではないでしょうか。
(第2回おわり)

◎考 察 ~つまりは副住職のひとりごと~

この話で真っ先に思い出したのが、本多惠先生が難波別院の掲示板(現在、掲示板集が「いのちの言葉」として発売されています)に紹介された言葉です。
それは河井寛次郎の「二つ並べて足の裏にも月を見させる」という言葉です。
当時私は何が言いたいのかさっぱり判りませんでした。毎月素晴らしい言葉を紹介される本多先生だけど、今回のは何かようわからんな、何で足の裏に月を見せるのがエエんかと、自分の中で引っかかりながらもホッタラカシにしていたのです。
ところが数年後、まったく別の場所からこの言葉の意味を知らされることになりました。
それは、高史明(こ さ みょん)氏の講義録だった(と思います)のですが、以下のようなエピソードです。
————————–以下エピソード—————————
ある少年が「死にたい」と高先生の元を訪れたそうです。
先生はその子に向かって、「死にたいのはどこか」とたずねたそうです。
少年は先生のおっしゃる意味がわからずきょとんとしていたそうですが、
先生が「死にたいと思っているのはここか」とアタマを指差されたとき、合点がいって「うん」とうなずいたそうです。
すると、先生は「頭が死にたいと思っているのなら手はどうした。頭が死ぬのなら手も死ぬんだぞ、手は今まで君に何一つ文句を言わず食べ物を運んだり君のために尽くしてくれただろう。死ぬのなら手の許可を求めないとだめだ。足はどうだ。足の裏は何一つ文句を言わず君の全存在をいままで支え続けてくれたんだぞ。死ぬというのなら一度しっかり足の声を聞いたらどうだ。声が聞こえないのなら歩きなさい。足の裏の声が聞こえるまで歩きなさい。」とおっしゃったのです。
—————–ここまで。(うろ覚えですみません)———————–
現代人はこの少年のように、「頭でっかちに生きている」と思います。それは頭で将来の状態を描き、頭で結論を出すことに慣れてしまっているからです。しかし生き物はそもそも頭だけで生きてはいません。手や足、お尻、胴体(腹・背中)、首があってはじめて頭が保たれているわけです。不幸にして全身が動かせない(たとえば故・ジャン=ドミニック・ボビーのような)病気の方でも、その内臓の働きがあってはじめて生命は保たれています。私たちがひとつの「いのち」を保つには、宇宙にすら譬えられる身体の働きがあったればこそ、今この瞬間を生きているのです。

年間3万人を超える自殺者が相次ぐ現代。それはもちろん個別にさまざまな事情があるのでしょうが、やはり自ら命を絶つという事実には、現代人特有の「頭で思い描き過ぎる」背景があるように思うのです。「生きていても仕方がない」「死にたい」。それは自らの思い込みなのです。なぜならその死にたいと思っている=絶望しているその瞬間も、本人の意思に関わらず身体を含む生命は休まず働いてくれているからです(自殺者の多くはそういうことを思念できない状態になってしまうともいいます。それだけ「頭で考える」病が蔓延しているのです)。

人間の頭脳には限界があります。どんなに頭でシミュレーションするのが上手で、その結果絶望しても、実際には想像どおりにはいかないものです。もうダメだと思っていたことに思い切って挑戦したら、案外うまくいったということもあるでしょう。逆に、こりゃイケると思って挑戦してみたら大失敗だったという厳しさだってありませんか?いずれにしても頭で描ける将来などタカが知れているものです。

しかし「所詮その程度」の頭脳が保たれるための条件は、この身体のみならず、食べるもの、見るもの聞くもの、出遇うもの、出遇う言葉、父母、その父母たち(×2)、さらにその父母たち(×4)さらにその父母(×8)…私を中心に無限に条件が連鎖して、その瞬間、瞬間が保たれています。このひとつでも欠ければ、私の存在は危うくなります。

だから、今この瞬間に自らの生命が保たれていることそのものが、すでに奇跡だと気づかねばなりません。そういう私の意思を超えたところで私が存在していること、それを「他力(たりき)」といいます。浄土真宗系の坊さんが「他力本願」という言葉を大切にするのはそういう理由があるのです。「他力」は「人任せ」という意味ではなくて、人間が勝手に思い込んでいる限界を超えたところからはたらき続けてくれている根元的なチカラなのです。そういうチカラに「生きろ」といわれている、そういう根元的な願いが掛けられている。それら総称を「本願」というのだと思います。

今回、私を支え続けてくれたという「足の裏」は、私の意識外の働き(他力)の象徴です。そもそも足の裏よりも大きなものに支えられて私のいのちはあります。譬えていうなら、その足の裏を支える「大地」です。今回の法話にありますように、私の足の裏をさらに支えてくれる存在があります。それを分析的にみれば、「食物連鎖」でしょうし、「社会関係」ともいえるでしょう。でももっとも身近なものは、東井先生にとっての奥様のように、「人間関係」です。そこにすでに本願のまなこは届いているのです。

河合寛次郎は「足の裏」に月を見せる=目で味わっていた名月を、足に見せてあげる=最も身近な自分を支えてくれる存在に気づきなさい。ということが言いたかったのだと思います。

NHKの「無縁社会」が大きな反響を呼んでいます。そこで描がかれるものは現代社会の負の部分ですが、なぜこんなに反響を呼んだのでしょう。見る側に強烈に与えられる課題は、「人間関係の喪失」だと思います。でもその喪失は、誰か他人が作り出したものではなく、私たち自身が一人ひとり作り出しているのだと言えませんか。

今回の法話に「目覚めとは平生、足蹴(あしげ)にし踏みつけていたものによって私が支えられていた事実に気づいてゆくことではないでしょうか。」とあります。この言葉を親鸞聖人の言葉に直しますと、「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり」に相当するでしょう。それだけの他力本願をいただきながら、私はそれを切り捨ててきた。そういう私に気づくことが、「目覚め」なのだと思います。

私がひとり生きるために、私を存在させる数え切れない条件すべてが絶え間なく成立してくれているのです。そのことに気づくことが人間関係の回復につながると思います。

面倒だから、大変だから、しんどいからと、頭でっかちなその頭で勝手に描いて、都合のわるい他者を排除し続けてきた現代人が、その最も身近な足下から警鐘をいただいている、それが今回、「足の裏」に象徴されていると思います。
(考察おわり)

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