第4回 真宗の救いとは ~受けて立つ~
※このページについて:このページは前半が法話・後半が考察という構成になっています。前半は真宗大谷派大阪教区発行の教化センター通信からの法話、後半が副住職のひとりごとと言う構成です。

◎ 法 話 ◎

本堂で掃除をしていると、そおっと戸を開けて沈んだ顔をした中年の女性が入ってこられた。「どうされたのですか」とたずねると、話しにくそうにボツボツ話し出された。

「水子供養をしてほしいのです。実は私は3年前に母親に死なれ、今は一人暮らしです。41歳になりますが、老後のことも考えて結婚しようと思って友達に紹介してもらったのですが、何回も失敗しました。ある人に見てもらったら、水子の供養をしていないのが原因といわれました。思い当たることがあるんです。20歳の時恋愛し、婚約までしたのに、家族の反対で結婚できませんでした。その時にやむを得ず子どもを堕してしまいました。その後、結婚する気もおこらず今日まで来ました。母もなくなり一人ぼっちになり、淋しいので何とか結婚したいと思っているんです。」

「なぜ、この寺に来られたのですか。」

「実は申し上げにくいのですが、あるお寺を紹介されて行きました。その寺では水子観音を一体求めるように言われ、御礼金が130万円だと聞きまして、私の力ではとても無理です。そこでこのお寺に相談にのっていただこうと思って来ました。」

「ともかくお経を読みます。静かに聞いてください。」といってお経を読みました。

「ありがとうございました。これで罪は消えましたでしょうか。」

いや消えません。考えてもごらんなさい。20歳のとき、周囲の反対を理由に、周りの人に責任を押し付けて、自分の都合で尊い生命を葬り去ったのです。そして、今回水子供養をしようというのも、水子の供養をダシにして自分の都合のよいように行きたい。さらに130万円では都合が悪いというので私の所に来られた。自分の罪を仏さままでに押し付けようとされている。真宗の宗教は責任転嫁をさせるものではありません。また自分の欲望を満たすためのものでもありません。どの様な逆境も、罪悪をも全て背負って立ち上がる主体を教えるものです。背負いきれないと思っているあなたの生命そのものは、立派に今日まで生きてきたでしょう。苦しく、やりきれなくなってらまた来なさい。」

今は、熱心な聞法者である。

↑法話トップに戻る

◎ 考 察 ◎

■水子供養とは

「水子供養」ってどう思われますか? 「水子」の定義はさまざまですが、乳児期・幼児期に夭折した子どもを総称して水子(みずこ・本来はすいじ)というそうですね。 「親より先に死んだ子どもが親不孝だから成仏できないで苦しんでいるから、供養しないといけない」。とか、「供養しないと悪霊になって身内に不幸が起こる」または「すでに起こった不幸の原因は水子にある」とかいう言葉を目にします。 でも、死んだ子どもだって別に死にたくて死んだわけじゃないと思うのです。 否、すべての命は死にたくて死ぬわけじゃないのです。 自殺だって死にたいというのは最終的理由であって、その原因は総じて「絶望」、つまりこの世を生きることにいきづまってしまったのです。「生きたいけれどその意欲を失ってしまったこと」に自殺の根本はあるといえるでしょう。

■赤ちゃんのイノチとオトナのツゴウ

これは私の師から聞いた話ですが、赤ちゃんは生まれて8時間放置されると、通常なら死んでしまうそうです。時に奇跡的に助かることもあるそうですが、平均 して8時間をタイムリミットとしてこの世に生まれてくるわけです。つまり「誰かが救い上げてくれる」ことを「信じて」、いのちはこの世に生まれてくるのです。 乳児期・幼児期に自ら絶望し、命を絶つということは考えられません。だから、「死にたくて死んだわけじゃない」と言いたいのです。 では乳児期・幼児期の命はどうして絶たれるのでしょう。 不幸にして、お母さんのお腹の中で、また生まれてまもなく病気などの理由で亡くなる事もあるでしょうが、私は「水子供養」という言葉を使うときに、圧倒的 に「大人の都合で殺した」というイメージを持ってしまいます。ニンゲンのツゴウがいのちの存続を許さなくしているのです。どんなに言い繕っても、「水子供養」というこの言葉の裏には、上記の法話にあるような「うしろめたい」大人の動機が潜んでいると思います。 なぜなら、自らの意思とは裏腹に、事故で、病気で、子どものいのちと悲しい別れをしなければならなかった方々は、ほぼ例外なく「亡くなった子どもは『仏』であった」とうなずかれた現場を見てきたからです。そこに「うしろめたさ」はありません。なぜなら「オトナのツゴウ」が入らない、まことの辛い別れであったからでしょう。 共に生きようとしたけれど、人智を超えたやむをえない力によって、それが果たせなかった。その涙のふちから戻られた方々は皆、「いのちは私有化できないのだ」という事実を自覚され、その悲しみの奥から、いのちそのものの不思議に手を合わされます。 思わずにして失われたいのちを前に、親は断腸の思いです。 いのちを安易に、「水子」というカテゴリに入れてよいのでしょうか。 単に親を悲しませる=親不孝者だといえるのでしょうか。 ましてそのために子があの世で苦しんでいると誰が断言できるのでしょうか。

子はすでにこの世にいませんが、その思いは親同様、共に生きられなかった悲しみを抱えていることでしょう。 親を縁とし、この世へ生まれようとしたのだけれど、生まれる前に、または生まれてすぐに縁尽きて、親より先にいのちの世界に帰らねばならなくなったのです。…そうして、残された親をして親を越えた存在となり、親の掌(たなごころ)をあわさせる縁そのものとなった…まさにそれは「仏」ではありませんか。 「水子」という言葉にはいのちを私有化してしまった人間の都合が潜んでいるように思えてなりません。 いのちに「わたしに先立つ仏」と手を合わせられない性根をもつ、または事情をもつ人びとが、うしろめたさから甘い言葉に踊らされ、迷いながら、さらなる迷いを深めている姿にしか見えないのです。 苦しんでいるのは「うしろめたい」オトナ自身なのです。すりかえてはいけません。 今回の法話のように、自分の都合を「しかたがない」と決めてしまういう大人に私は心底怒りを覚えます。そういう人は仮に自らが「しかたがない」といのちを絶たれるとして、そのことに納得できるのでしょうか。

■真宗の水子供養

真宗では「水子供養」をいたしません。というより、できないのです。 いのちを人間の都合で分類できない、というのです。はっきり申せばそういう、「うしろめたいことをした側の甘えを許さない」厳しさでもあります。 いのちはすべて、平等です。もちろん娑婆を生きる上で、いろんな格差が生まれることがあるでしょう。でもいのちに大小上下はありません。すべて同じなのです。だから、私より先に浄土へ還られた方はすべて、わたしを導く「仏」であると思います。 したがって、なくなった子どもを諸仏として手を合わせ、読経こそいたしますが、これは良い、これは悪いといった分け方をおこなわないのです。ゆえに真宗では人の都合や甘さにつけこむような「水子供養」はいたしません。 「お金で罪が帳消しになる」と思っている人は中世から思考が止まってるのではありませんか。「免罪符」という愚行を現代に繰り返すというのしょうか。かね

■まことの癒しとは

近年の宗教は「癒し」の側面を強く求められます。しかし、人間の都合・人間の意識に沿い、言い訳を許すような「癒し」は真の癒しではありません。一見、寄り添うように見えて、その人の人生における問題や課題をぼやけさせているだけだからです。

問題や課題の中にこそ真実はあります。苦しみや悲しみがそれを教えてくれることもあるのです。 だとすれば、安易な水子供養、癒しのための水子供養、そして言い訳のための水子供養はむしろ仏敵でないか、とすら思います。供養という言葉を借りて、子どもがかつて存在していたことを封じ込めている姿に見えてなりません。 それこそ宗祖親鸞聖人が厳しく糾弾された、「似て非なる仏教」そのものだからです。 人間は時に苦しみを「受けてたつ」ことが求められます。 「自ら(我)」に根ざした行動というもの、「自ら(我)」に根ざした発想を一旦否定し、人知を超えた「仏」のはたらきとして受け止められること、つまり「受けて立つ」ことこそが真の癒しには必要だと思います。 藤場俊基先生がご自身の著作の中で「自分がすぐにうなずけるものだけが、教えであるわけではありません」とお書きになっておられます。 まさに我の考えで、我の行動に都合のよいものだけを取り入れて生きる私たち(すなわち、受けて立てていない私たち=我執)を言い表して下さっている言葉だと思うのです。/end

↑法話トップに戻る

2017年6月のことば

2017年6月のことば

にぎって、
はなして、
向こうから〜訓覇信雄〜

ランダムピックアップ

  1. 2010.11.2

    突然ですが・・・サイト移転します。

    長年お世話になりましたXOOPSを離れ、Wordpressを導入することにいたしました。
  2. 2014年9月のことば

    2014.9.17

    人と違った考えを持つことは 一向にかまわないさ でも その考えを 無理やり他の人に 押しつけてはいけないな 〜スナフキン〜

    ひさびさのブログ更新です。
  3. 平松市長とブットンくん

    2010.10.9

    ブットンくん奮闘中

    (過去サイトからの転載です。
  4. 真宗合同布教大会・当日の様子

    2013.2.19

    真宗合同布教大会2

    [caption id="attachment_2843" align="alignright" w...
  5. 2014年1月の言葉

    2014.1.1

    これでいいのだ 〜バカボンのパパ〜

    [caption id="attachment_3232" align="alignright" w...