2026年1月掲示板、更新しました(2026年1月1日)
しんこうじだより(旧翫湖堂だより)のバックナンバーを更新しました(2025年12月27日)
新年を迎えての言葉は清沢満之の言葉です。彼は明治時代の哲学者・宗教家で、夏目漱石や正岡子規といった文豪にも強い影響を与えました。何より真宗大谷派の近代教学を世界に開く偉業を成し遂げました。
「吾人」とは「われわれ」の意味です。また「なかるべからず」は、「ないことを否定」つまり、強い肯定の意味があり、「ないなんて許されない」ー すなわち不可欠である、という意味です。よって現代語にするなら『我々が世の中を生きてゆく上で、必ず、一つの完全な「立脚地」が不可欠だ』と言っているのです。
立脚地とは私の居場所・あるいは依りどころのことです。皆さんには「ここが私の居場所だ」と言い切れる場所はありますか。そして、そこは、ずうっと安泰でしょうか。
いやいや、新年早々何を聞いてくれるんだ、とおっしゃるかもしれません。でも、これほど人生における深くて大切な問いかけはありません。それは、ある人にとっては家庭でしょうか。ある方は職場や仲間、あるいは地域社会などを挙げる人もあるかもしれません。
ただしそれらは、私の気持ちに反して姿を変えます。依存すればするほど、私にとって都合の悪い姿へと変わっていきます。ずっと安泰な居場所・依りどころって、もしかするとこの世にはないのかもしれません。なぜなら、お釈迦様は「諸行無常(あらゆる行いは全て常ではない・移ろい変わるものなのだ)」とおっしゃいましたから。
とは言っても、それは虚無感ではありません。この世にあるものにすがって、この世だけを考えているから、また、移りゆく、姿を変えるものにすがっているからこそ、立脚地は定まらないのではないでしょうか。
志賀直哉の「ナイル川の水の一滴」という有名な随筆があります。彼は自分自身を悠久の歴史の流れの中の「水の一滴」とし、そして「その一滴は後にも前にもこの私だけで、何万年遡っても私はいず、何万年経っても再び生まれてはこない」と言います。「しかもなおその私は依然として大河の水の一滴に過ぎない。それで差支えないのだ」とも。彼をしてそこまで立たしめる「立脚地」が、彼にはあったのでしょう。
いかがでしょう。自他ともに一度きりの人生、新たな年のはじめに私の「立脚地」を考えてみませんか。
※2026年・大和大谷別院の1月号にもこの編集版が収録されています。
修正会・元旦(しゅしょうえ)…1月1日除夜の鐘終了後
修正会2日目(しゅしょうえ)…1月2日 午前8時より
春季永代経 … 3月16日(日)
他所経常費集金 … 7月13日(日)
境内葉刈作業 … 7月27日 (日)
秋季永代経 … 10月5日(日)
報恩講 … 12月5日(金)〜12月7日(日)
5日夜 → 子ども報恩講
6日夕 → 御傳鈔拝読(法話後)
7日午後 → 門徒総会
除夜の鐘…12月31日 (水)午後11時より(引続き修正会)
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